THE MFQ

MFQはチップ、ヘンリー、そしてチップの友人スタンがトリオを結成したことから始まった。ザ・フォー・アミーゴズというグループの4パートハーモニーに魅せられ、4人目のメンバーを求めはじめるには、結成からそれほど時を必要としなかった。そこにウィスキーヒル・シンガーズが解散し、ハワイに戻って来ていたサイラスがトリオに参加した。1961年のことで、この頃はまだModern Folk Quartetではなく、ザ・レキシントン・フォーと名乗っていた。1962年の冬、4人はロサンゼルスに渡り、マネージャーとなるハーブ・コーエンと出会った。ちょうどこの頃、スタンがModern Folk Quartetと名づけた。カレッジコンサートやトルバドールなどといったライブハウスで活動していた折り、ワーナーブラザーズに認められた。

映画「パームスプリングスの週末」に出演が決まったのもつかの間、撮影の直前になってスタンがグループを去り、同じくロサンゼルスで活躍していたジェリーが参加することになった。ここで初めて今のMFQが誕生した。1963年のことだった。 多くのミュージシャンに影響を与え、才能が認められながらも、MFQは商業的な成功を得ることは出来なかった。2枚のアルバムと6枚のシングルを残し、60年代後半、MFQは解散した。サイラスはハワイへ戻りソロのアルバムを発表。ギターなどで他のグループに参加するほか、プロデュースも手がけた。チップはタートルズに参加中、マイク・ネスミスの要請でモンキーズのプロデュースをしたことで成功し、プロデューサーとしての道を歩み始めた。ヘンリーは趣味で始めた写真がそのまま仕事となり、数多くのアルバムジャケットを撮影し、音楽雑誌やアイドル誌などと契約、写真の提供をした。ジェリーはザル・ヤノフスキーに代わってラヴィン・スプーンフルに参加。また兄ジムが在籍していたアソシエイションのプロデュースがきっかけとなり、プロデューサー、アレンジャーとしても成功した。

70年代後半後半、それぞれのキャリアを経て、再結成の話が持ち上がり、活動を再開。しかしレコードの発表までにはいたらず、それぞれの活動へと戻った。80年代に入り、ジョン・スチュワートが創った新しいレーベルでMFQは再々結成を果たした。アルバム「ムーンライト・セレナーデ」を発表し、正式に活動を再開。ハワイでのライブ活動を行う中、88年にジムが参加。この時、正式にModern Folk QuartetからMFQと改名した。88年末の来日公演をきっかけに日本のみでアルバムを発表。CMにも曲が起用された。

しばらくMFQとしての活動は休止していた。
ジェリーは現在ラビン・スプーンフルのメンバーとして活躍。アメリカ国内で活躍している。余談だが、数年前には沖縄の米軍基地でも演奏したらしい。  
2003年、来日公演を前に活動再開。現在はJimはソロで活動中で、MFQはオリジナルの4人メンバーに戻り、The Modern Folk Quartetに名前も変更している。

*他アーティストとの仕事などは、個々のディスコグラフィーをご覧下さい。